エッセイ

日々アキラさんの身の回りで起こるエピソードからマツケンサンバ驚太姑誅辰砲い燭襪泙如音楽にまつわるエッセイのあれこれ。このサイトでみなさまに読んでいただくために、書き綴ったものです。


アキラさんの妄想?ひとりごと?
思いのままを書き綴ったショートエッセイです。
こちらも、このサイト上で公開するために書き綴ったものです。


雑誌や公演プログラムなどに既に掲載されたエッセイを集めました。


公演案内や御礼などのご挨拶文、日記など。上記カテゴリに入らなかったものたちです。


 

演奏中、音楽家たちは見えない糸で結ばれている。
それぞれの想いを音に託し、最終的には「自分たちが今、生きている」ということを確認し合ってまた去っていく。

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これは聞いた話だが、生前、朝比奈隆のリハーサルでは2ndヴァイオリンやヴィオラ、つまりメロディー以外のパートをゆっくり噛みしめる様に分奏させることが多かったそうだ。ベートーヴェンやブラームスの様な巨人達の濃密な音楽は、内部の梁や釘の一本に至るまで、如何に心の通った音楽であるかを確認するためである。オーケストラのメンバーはそうすることによって、他のパートを聞く耳を持つとともに、巨人から生まれた「音楽」という建築物の無駄のなさを知り、安心してメロディーを歌い上げられる様になっていくのだそうだ。

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「宮川さんの曲は綺麗過ぎる。もしこの音楽で幕を開けるなら、僕は劇場中の天井から腐った茄子でも降らせなきゃならない。」とは演出の蜷川氏のコメント。
プロデューサー、ホリプロの堀会長のお言葉はもっと強烈だ。「宮川さん、あんなお経みたいな曲ばっかりじゃなくて、キャッツのメモリーみたいな曲を入れてよ。」

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ほんのささいなキッカケでバレエを習うようになった。昭和46年、少年がまだ10歳のころである。小学四年の彼は毎週水曜日、ランドセルの底に黒いバレエシューズが入っていることを、友達には打ち明けられずにいた。が、バレエそのものに対しては、何か運命的なものを感じていた。

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その1
1995年夏、エンターテイメント音楽家にとって頂点ともいうべき仕事が舞い込んだ。「グランドオペラなみはやの夢」の作曲依頼である。我らがマネージャー氏からの伝言によると、オーケストラにブラスバンドが総勢五百人、合唱が千人、フロアーを彩る演技者は中高生二千人、アマチュアダンサーが千人、着ぐるみのマスコットが五十体、と、ともかく話がでかい。この数千人もの出演者を使って(しかも五万人収容のスタジアムで)、いったいどんなオペラを作ろうというのだろう。本番は1997年、大阪なみはや国体秋期大会の開会式においてのただ一回だという。この話、いったいどこまで本当なのだろうか。とにかく直接話を聞こうと、プロデューサー氏と会うことになった。

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その1
ミュージカルにせよ、ショーにせよ、一時間半から二時間の音楽を編むということは
偉大な仕事である。ショーの成功は音楽の運びによって決定づけられるからである。一晩に千人もの客(赤の他人)からそれぞれ八千円も九千円も頂いてみせるわけだから何とも責任が重い。スリルはあるか、音の厚みは充分か、歌詞は良く聞こえるか、ダンスにはピッタリ合っているか、厭きないか、そして充分盛り上がったか……。アレンジャーの役目は、多岐にわたる。

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