ショーが動き出した日(全5回) - 1 -

第一回 「ショーが動きだした日」



ヒットパレード取材、と称して、鈴木聡・渡辺ミキ両氏と対談。
春らしく黄色いシャツをクリーニングのビニールから出して着る。
終了後、制作の奈緒子さんとスケジュール確認。顔を見合わせる。
5月、半分はコンサートなどで埋まっている。6月、ほぼ3分の2が埋まっている。
ヒットパレードのお稽古にはほとんど顔も出せない。冷や汗がツーッとほほを伝う。
4月17日、一曲もまだ生まれていない。

最初のひらめきはその3日後には訪れていた。
「題名のない音楽会21」2週分の収録を終えた4月20日、
M−1「ギブ・ミー・ミュージック」の作曲にとりかかる。
作曲といっても、この一曲で台本の10ページ分が費やされている。
戯曲ではなく、完全なミュージカル台本である。
一番を半分歌ったところでシンさんと山崎のセリフ、あとの半分を歌った後で
ミサさんと洋子の芝居、やっと二番を歌い切るやいなや第一のメドレーへ突入。
このオーバーチュアー代わりのメドレーが難問ではあるが、
そこまでのメロディーは歌詞を一読しただけで聞こえてきた。
♪ミ・レ・ドー・ミ・レ・ドー・ミ・ソ・ソー♪
古めかしくて愛嬌があって、どこかで聞いたようで新鮮。
こんなメロディーが無理なくやって来たことが嬉しい。
あえて誰風といえば「宮川泰風」か。

メドレーの部分を考えながら感じたのだが、これは大変な作業だぞ、と改めて思い知る。
RAG FAIR 6人のパートをボーカルスコアーの中に編み込まなくてはいけないからだ。
しかしこれが今回のミュージカルの独自な部分なのだ。
6声のコーラスが自在に舞台上で物語を進めていく。時には主役の背後でスウィーティーな
コーラスを付け、時に重唱になり輪唱になり、6声のメロディーを歌う。
舞台上では当然暗譜(譜面を見ないで歌う)であるから、練習のためにイの一番に
彼らのパートを完成させねばならない。メロディーを作るだけではないのだ。

最初のひらめきから10日間(平原さんとのセッションCDの録音、ヒットパレード制作発表、
クインテットの収録等、同時進行ではあったが)、4月30日、ようやくM−1が完成した。

5月1日、さっそく出来たばかりの「ギブ・ミー・ミュージック」を
演出家山田和也氏とプロデューサー渡辺ミキさんに聞かせる。
この日は1幕ラストの15分メドレーの選曲会議であったのだが、
私は「とにかく聴いてくれ」とばかり、練習室のピアノを横取りして、
そこに居合わせたスタッフ全員の前で唄ってきかせる。
オリジナルミュージカル制作過程で、もっともスリリングで、
もっともクリエイティブで、もっとも幸せな時間である。
ショーが動きだした日。
スタッフ全員、目を輝かせ、というよりも、すでに目頭を熱くしている。
が、一番熱くなったのは私。「こんな曲が出来るなんて・・・」という感謝のような感覚。
そしてそのことを私と同じく、あるいはそれ以上に理解したプロデューサー。
お互い知り合って46年目の初仕事。ベストパートナーの予感。

それにしても時間がない。その日打ち合わせたメドレーのメニューを見るだけで気が遠くなる。
15分=20曲のメドレーのスコアーを書かねばならない・・・
しかもこれが氷山の一角という現実。